概要「成功したのに渋い表情の真実はいかに?」
日本時間の今日未明、日本のJAXAがつくった月面着陸探査船SLIMが、月面に軟着陸成功!というニュースが飛び込んできた。成功だとすれば、ロシア、アメリカ、中国、インドに次いで5番目となる快挙であるが、どうもその記者会見が歯切れが悪く、人々の憶測を生んでいる。
私も当初「久しぶりに嬉しいニュース」だと思ったのだが、会見の様子を知るにつれ、「これはどうもJAXAはなにかを隠している」と感じるようになり、成功したのに失敗のような雰囲気、しかも太陽光パネルが壊れてないのに作動してない、という説明を聞いて感じたのは「たぶん、軟着陸はしたんだろうが、ひっくり返っているんじゃないか」という思いつきである。日本のメディアはあまり「ひっくりかえっている」可能性については言及してない(追記:さきほど(1/21)、産経新聞がその可能性について言及しているのを見つけた)。しかし、海外のメディアには「Japanese Lunar Lander...Upside down?」などという報道がちらほら出始めている。やはり、私とおなじ感想を持った人がいたようである。
Japan Moon Lander is Upside Down | NextBigFuture.com
もしこれが本当なら....ビートたけしがネタにしそうな、最高に楽しい出来事である。が、JAXAの皆さんの真面目な性格を考えると、笑って流して次のチャレンジに切り替えるのはかなり難しいだろう。「成功した」とか、「世界初の試み」とか、そういうスローガンが大好きな人たちである(はやぶさの帰還のときは、お涙頂戴の感動映画まで作ってしまったくらいである)。誇り高き日本の技術の最高峰が、カブトムシのようにひっくり返って身動き取れない状態...などと揶揄されるのは耐え難い屈辱なのではないだろうか?これが「歯切れの悪い会見」の原因のような気がする。もちろん、ひっくり返っていても通信機材などは生きているはずである。ばたつくカブトムシなんだから(笑)。
とはいえ、ナイストライ!である。JAXAのスタッフのチャレンジ精神に尊敬の念である。そして、その上での「笑」である。ということで、まずは、SLIM計画について、その概要を調べてみよう。
SLIM計画とは?
まずはwikipediaの情報から。
打ち上げ:2023年9月上旬(種子島宇宙センター、HIIAによる打ち上げ)
月面着陸:2024年1月20日(神酒の海=うさぎの短い方の耳、に「軟」着陸)
通常、月まで最短時間で到着しようと思えば、5日程度でいける(1969年のアポロ11号の場合は、打ち上げが7月16日、月面到着が7月20日であったから4日ほど)。これはケプラーの第3法則を使っても簡単に計算できる。地球の重力が支配する天体系を考えれば、月の公転運動と月旅行の軌道は「同じ系列」であるから、ケプラーの第3法則により \begin{equation} \frac{30^2}{60^3}=\frac{T^2}{30^3} \end{equation} が成り立つ。上の式の両辺の分子にある周期の単位は「日」とし、一方、分母の軌道半径(楕円の長半径)は地球の半径$R_E=6400$(km)を単位にとって表している。左辺が月の公転運動のデータに対応するもので、右辺が最短月旅行の軌道に対するものである。
月の公転軌道が地球半径の60倍であることは、ギリシア時代からすでに知られている有名な事実である。また月の公転周期は30日つまり「1ヶ月」であることは周知である。
月旅行の軌道を最短にするなら、地球から月めがけて一直線に近い「かなり細長い楕円」にすればよい。つまり、月の公転半径が月旅行の軌道の直径となるので、その半径は、60の半分の30となる。上の方程式を解くと \begin{equation} T = \frac{30}{\sqrt{8}} \simeq 10 \end{equation} となるから、月旅行の周期が10日程度であることが計算で確かめられた。つまり、片道5日程度なのである(アポロ11号の場合は4日だからほぼ計算通り)。
SLIMの場合は4ヶ月もかかっているが、どうしてなのだろうか?打ち上げ直後は地球周回軌道に乗っていて、ここで機材の動作確認をしたと説明にはあるが、それは「ひと月」もやれば十分だろう。wikipediaには、動作確認後に、月を使ったスイングバイを実施した旨が説明されている。その軌道を表すアニメーションをみると、4ヶ月もかかった理由を「なるほどね」と推測することができる。
スイングバイをしたということは、月面着陸する前に一度月の周回軌道に到着していることになる。つまり、SLIMは2度月にたどり着いたのである。一度目の接近でなぜ着陸しなかったのかというと、それは多分「お金」の問題である。SLIM自体はとても小さな探査船であり、アポロ計画のように母船と着陸船、それに機械船などの複数のモジュールからなる複雑なシステムではなく、ほぼ探査船だけである(オモチャのようなポッドが2つ付属してはいるが)。したがって、姿勢制御や軌道変更のための燃料はあまり積み込めない。アポロ計画のような軌道をとった場合、月へ着陸する際に急減速したり、軌道を大きく変える必要があり、大量の燃料を持参する必要がある。しかしSLIMにはそれを実行するだけの余裕がないのだ(だから、SLIMと名付けたんだろう)。SLIMの軌道を見ると、スイングバイを実施するために最初に月に接近した際には、アポロ計画に似たような直線上の長細い楕円軌道を使って接近している。したがって、最短の5日間ほどで月の目前までたどり着いてしまったことであろう。しかし、着陸するための燃料を持っていないので、月の重力を利用して軌道を大きく変更するとともに燃料を節約したのである。
スイングバイの後、探査機は「弾道的」、つまり地球の重力に従って運動するので、燃料は不要である(宇宙空間では空気抵抗というものはないから、局所的には慣性運動に近い運動になる)。大きく月の公転軌道から飛び出したSLIMは遠地点で方向を(自然に)変え、(燃料不要で)月を追いかける形となって月軌道の接線を辿りながら月へ2度目の接近をしている。こうすることで、相対速度を限りなく0に近づけ、減速のための燃料を浮かそうとしたのであろう。
SLIMの目標は「月面に軟着陸すること」の一点にほぼ絞られており、時間的に急ぐ必要はまったくないから、この方法は「なかなか賢い」と評価していいと思う。
SLIMには2つの小型ポッドが付属していて、それぞれLEV1, LEV2と命名されている。後者が「月面探査ロボ」で、前者が通信ブロックである。着陸に成功したSLIMを撮影するために、月面を走ってSLIMからある程度離れてから写真撮影できる小型のロボットが積み込まれたのである。設計はミニカーのおもちゃで知られるタカラトミーである!このロボット月面車は「Sora-Q」というコードネームが与えられている。
Sora-Qが撮影した写真データは、通信ブロックであるLEV-1に無線で送信される。そして、LEV-1が地球の基地局へ向けてデータを転送する計画である。LEV1, LEV2ともに、計画通りに射出されたそうであるが、その安否はまだ確認されていない。
着陸データを見ながら分析してみる
JAXAは、SLIMが月面に降下していく様子をリアルタイムで配信した。また、その記録はJAXAのyoutubeチャネルで公開しているので、さっそくそれを分析してみることにした。
「でんぐり返し」したかどうかは、着陸船の構造や形状で判断するので、まずはその形に習熟しておくことにしよう。JAXAがプレスリリースで公開したパンフレットを、まずはJAXAからダウンロードしてみた。このパンフレットにSLIMの外観を描いた図がある。まずはそれを引用しておこう。
全体的には「四角い箱」であるが、そこに二本の黒い突き出しがあって、それがメインエンジンのブースターである。また、「頭部」が丸くなっていて、これがメイン燃料タンクである。太陽パネルはこの図の「側面」にあって、最後はその面が天空(頭上)を向く計画である。
着陸予想図もこのパンフレットにあるので、引用しておこう。
最終的には、メインエンジンの「ツノ」が側面となり、側面にあった太陽パネルが真上を向く形での着陸となる予定である。また、降下時に「頭頂部」にあった半球形の燃料タンクも横向きになる予定である。
以上を頭に入れて、着陸時のデータを見てみよう。
まずは「現状」つまり最終的な着陸状況から確認してみよう。
SLIMは現在、この状態で月面に着陸していると思われる。JAXAは分析に2週間ほどかかるといっているが、この画面を見れば「ひっくり返っている」のが一目瞭然である。とはいえ、「ひっくり返っている」の定義が曖昧なので、若干のコメントが必要だろう。
画面を見ると、燃料タンクを一番下にして、メインエンジンのノズル2本が頂上に立っている様子が確認できる。ホバリングしながら下降を続けていた時は、これと正反対の姿勢になっていた(つまりメインエンジンのノズルが地面の方を向き、燃料タンクが頭頂部に位置していた)。これを「下降姿勢」と呼ぶことにすると、現在の着陸状態は、「下降姿勢を基準に考えると、ひっくり返っている」という記述になる。
もともとの着陸態勢は、メインエンジンのノズルが横向きになる態勢で、太陽パネルが上向きであった。必然的に、燃料タンクも横向きになる。この姿勢を「着陸姿勢」と呼ぶことにすれば、現状の体勢は「着陸姿勢に対して90度回転した状態」である。これは「でんぐり返し」というよりは、二塁に盗塁するためヘッドスライディングしてきた大谷が、ベースのところで勢い余って逆立ちしてしまったような状態である(笑)。
まずは、時間を遡って、下降姿勢を取っていた時間にいってみよう。先ほど画面の40秒ほど前のUT 15:19:33である。
飛行状態はVDM(Vertical Descending Mode=垂直下降モード)にあり、計画通り、メインエンジンが下側、丸いタンクが上部にあるのがわかる。
この状態から30秒後の画面を見てみよう(UT 15:20:03)。飛行状態はMLM(Moon Landing Mode = 月着陸モード)に遷移している。つまり最終着陸体勢に移行している。このとき、角速度計が大きく振れているのがわかる。画面中央部の上にある、緑のバーと緑の半円の図形である。
大学の古典力学における最終章でよく取り扱われる「剛体の力学」の内容である。ここで習うのが、慣性テンソルである。これは剛体の角運動量と角速度の比例関係を与える係数行列のようなものである。3x3対称行列の形になっているので、対角化が常に可能である。その結果(3つの固有値と固有ベクトル)は慣性主軸と呼ばれ、内部座標系の直交座標軸に相当する。この軸の周りの回転運動は、3つの角速度$\omega_x, \omega_y,\omega_z$で記述できる。
さて、図の真ん中の半円図形が$\omega Z$、つまり$\omega_z$である。これはZ軸が地面から天上に向いた「垂直方向」であるから、その軸周の回転運動に相当する。下降姿勢のおいて、$\omega_x=\omega_y=0$のまま、$\omega Z$が動くということは、着陸船がスピンしながら落下するイメージである。昔、ESAの土星探査計画で、タイタン着陸に成功したホイヘンス探査船がスピンしながら下降し、ハードランディングしたものの、計器は生き延びて地表の様子を写真に収め、大成功したときを思い起こさせる。落下途中では、カメラがぐるぐる回った結果、地平線が回転して目が回りそうになったものである。
一方、その隣にある縦棒が$\omega X$、つまり$\omega_x$である。これが動くということは、x軸周りの回転が生じたということになるから、画面右半分の探査船姿勢を示す2つの窓の中、y軸方向の運動を示す図形において、着陸船がごろりと回転運動していることを意味する。
当初の計画では、「2段階着陸」で着陸させることになっていたが、これがうまくいけば、下降姿勢から一度機体をX軸周りに「回転」(というよりも「傾け」)させて、月面に「二本脚」をまず引っ掛ける。これによって生じる重力によるモーメントで一気に機体を押し倒す。勢い余って一回転しない程度に角度は調整してあるので、ある角度に達したところで一瞬静止するが、その直後に今度はX軸周りに逆回転して、四つ脚をつく状態にもっていって完了、となる予定だった。この通りにことが進めば、最初に$\omega_x$がプラス方向に大きく振れ、一度0に戻った後、最後に弱くマイナス方向に$\omega_x$が動いて、再度0になる、ということになる。このとき、$\omega_y$も$\omega_z$も0の値をキープしたままの状態が理想である。
ところが、UT15-20-03の状態を見ると、$\omega_x$のみならず、$\omega_z$も$\omega_y$も大きな値をとっている。おそらく、二本脚を地面につける計画だったのが、地面の凸凹のせいで最初に一本脚だけが地面に接触してしまい、この一本脚を軸にして、機体は斜めに大きくスピンしてしまったのではないだろうか?これにより、全ての角速度が大きく振れてしまっているのであろう。特にz方向の回転をしてしまったことで、太陽光パネルが当初の予定の裏側に回り込み、さらに一本脚では地面との摩擦がうまく作用せずに、かなりの勢いで機体は倒れこみ回転を続けることになってしまった。勢い余った着陸船は斜めに傾くどころか、逆立ちする体制にまで転がってしまって、最終的には燃料タンクを下にして「ひっくり返って」しまったのである(たぶん)。こうして、太陽光パネルは「側面」になってしまい、しかも運の悪いことに「日陰」の方向に回り込んでしまったのである。
やはり今回の失敗は着陸機構にあるのではなく、着陸機構が予定通りに機能しないことも予想して、裏側や側面にも予備のパネルを貼り付けておくべきだったのである。それは多少小さめのパネルであっても良かっただろう。また、二本脚で最初に着陸するという想定だけでなく、一本脚だけが地面に引っかかってしまった場合も予想しておくべきだったのではないだろうか?着陸地点はレーダー探査のデータをもとにAIがその場で自発的に決定する、ということだったようだが、「平らなところがない場合」という想定がプログラムに入っていたかどうか?もしなければ、最初に引っかかるのは一本脚だけである。とすれば、今回のような「でんぐり返し」こそがもっとも想定される着陸モードだったのではないだろうか?もちろん、後出しジャンケンの議論であることはわかっている。JAXAの技術者は素晴らしい。しかし宇宙探検は想定外ばかりだというのは、NASAやソ連の宇宙活動からもうわかっていることである。かならず余裕を持った設計をしておかないとうまくいかないのである。スペースシャトルがコスパを追究して2度も爆発したのは、やはり必然だったのである。
最初のスペースシャトルの事故分析に携わったファインマンの有名な言葉を思い出す。PR活動などを派手にやったりして人間は騙せても、自然は騙せないのである。